あなたが飲んでいるその茶。美味しいですよね。
鮮やかな緑、煎茶の渋み、玉露のうま味。今、私たちが美味しいお茶を飲むことができるは、過去の偉人たちのおかげです。
日本人のあなたなら、お茶の歴史を語れた方がいいでしょう。年配の方へプレゼントすれば喜ばれますし、訪日客にふるまってあげるのもオススメです。
今回は、日本において緑茶の普及に貢献した3人を紹介していきます。
日本における緑茶の歴史
日本のお茶に貢献した偉人は、以下の3人です。
- 最澄
- 栄西
- 山本嘉兵衛
この3人を知っていれば、日本のお茶についてはバッチリ!これであなたも誇り高き日本人(^^♪
輸入・普及・開発に貢献した3人の人物
それでは、最澄、栄西、山本嘉兵衛について紹介していきます。
最澄|お茶の種を日本に持ち込んだ人物
平安時代、仏教界に天才が現れました。日本人なら一度はその名を目にしたことがあるはずです。
最澄(767-822年):日本天台宗の開祖(比叡山延暦寺)
彼は中国へと渡り、そこで本場の仏教を学んできました。その際、お茶の種を日本に持ち帰るのです。そして比叡山(滋賀県)の山麓に、その種を撒いて育てました。
現在は日吉茶園として、日本茶発祥の地と言われています。
しかし、この時代のお茶というのはとても高級品でした。そのため、ごく一部の身分の高い人にしか広まることはありませんでした。
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栄西|お茶の栽培を日本に広めた人物
栄西は、平安時代~鎌倉時代の僧侶。日本に茶を広めたのは栄西といっても過言ではないほどの超重要人物です。
栄西(1,141~1,215年):臨済宗の開祖
栄西は一休さんでおなじみ、臨済宗の開祖です。公案というナゾナゾを用いて、弟子たちを悟りへと導きました。
そんな栄西はお茶の栽培を自ら行い、”茶は養生の千薬なり・・・”ではじまる『喫茶養生記』を著しました。
14歳で比叡山に入った栄西は、2回の中国留学で臨済禅(臨済という僧が作った禅)を学び、悟りを開くことに成功しました。
昔のお坊さんというのは、今の葬式仏教とは異なりとての偉大だったのです。
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中国留学からの帰国の際、栄西はお茶の種を持ち帰ります。2回の留学中にお茶の養生効果を知り、禅の修行に必要不可欠なモノだと判断したのでしょう。
1,211年ごろ、栄西は日本茶の効果・用法を記した『喫茶養生記』を書き上げます。
栄西は禅の修行のため、お茶を眠気覚ましとして利用しました
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山本嘉兵衛|玉露を開発した人物
日本橋にある山本山。海苔のイメージが強いかもしれませんが、お茶でも有名です。その山本山の6代目・山本嘉兵衛が玉露を開発しました。
山本嘉兵衛:玉露の開発者
玉露は煎茶と間違われやすいですが、栽培方法が異なります。
玉露は、煎茶の栽培方法との違い、摘み取り前のおよそ20日前後頃から、ヨシズやワラ、あるいは寒冷紗などの化学繊維で茶園を覆います。これを被覆栽培といいます。直射日光を遮ることで、緑茶の旨み成分であるテアニン(アミノ酸の一種)を増加させ、玉露特有のとろりとした甘みのある茶葉になります。味だけでなく、「覆い香」といわれる香りも独特で、お茶の旨みをぎゅっと濃縮させた玉露は、贅沢の極みです。
引用:ちきりや
玉露と比べ、煎茶は被せモノをしません。日光による光合成がすすみ、カテキンが増えます。程よい渋みと爽やかな香りが特徴です。
好みの問題はありますが、玉露は煎茶よりも手間がかかり贅沢品とされています。価格も煎茶より高いです。
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まとめ
以上、緑茶の歴史|最澄が輸入、栄西が普及、山本嘉兵衛が開発に貢献についての紹介でした!
- 最澄:日本にお茶を持ち込んだ人
- 栄西:日本にお茶を広めた人
- 山本嘉兵衛:お茶の王様・玉露を開発した人
この3人さえ押さえておけば、日本茶に関してはバッチリです!日本の誇りを持って教えてあげましょう(^^♪
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