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お茶

緑茶を日本に広めたのは臨済宗の栄西|茶は養生の千薬なり

抹茶を器に入れて泡立てた写真

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日本の緑茶、とても美味しいですよね。

そんな緑茶を日本に広めた人物をご存知ですか?

 

『全く知らないし、見当もつかない』

『商売で成功した偉人じゃない?』

 

日常的に緑茶を飲んでいる私たちですが、その原点を知らない方は多いです。

 

じつは、緑茶を日本に広めたのはお坊さんです。

 

意外でしたか?商人ではなかったのです。しかも、誰もが教科書で習ったことのある僧侶です。

その名は栄西禅師(えいさいぜんし)

鎌倉時代の僧が、緑茶を日本に広めたのでした。

 

今回は栄西がなぜ緑茶を必要としたのか、どのように日本に広めたのかを解説します。

栄西は臨済宗の開祖

栄西は臨済宗の開祖として有名です。1,141~1,215年の鎌倉時代を生きました。

14歳で比叡山に入った栄西は、2回の中国留学をします。留学先では臨済禅を学び、悟りをひらいた証明の印可を得て日本に帰ってきました。

臨済宗は【公案】と呼ばれるナゾナゾのような無理難題を突き付けることで、弟子を悟りに導く仏教です。

【ナゾナゾ】【仏教】でピンとくる方もいるかもしれません。そうです、アニメでおなじみの一休さんはトンチが大得意です。

 

何を隠そう一休さんは【一休宗純】という臨済宗の僧侶だったのです。

一休宗純は実在した人物です。

 

佐賀県霊仙寺(りょうせんじ)跡には栄西茶がある

鎌倉時代初期の建久2年(1,191年)、栄西は中国から帰国しました。その際、茶の種を持ち帰ってきたのです。

茶の種は佐賀県脊振山にある霊仙寺と福岡県の聖福寺に撒かれました。

 

帰国したのが7月で茶の種が発芽しないことから、苗を持ち帰ったという説もあります。

 

佐賀県脊振山の山麓には、現在でも栄西が育てたとされる茶畑が残っています。そこで作られているのが栄西茶です。

 

栄西茶は、日本最初の茶樹栽培地の歴史を持ち、新緑の頃に朝霧に包まれるという最適の条件の中で育ちます。

中国の唐の時代の製茶法で、宋~明の時代に伝えられたとされる「釜炒り手もみ」のお茶は、三日月の形状で保存した際の変質が少なく、黄金色で清く澄んだ湯の色をした、日本茶の中でもカラッとした独特の風味を醸し出す爽やかな味です。

また、渋みもなくまったりと濃厚な旨みも特徴です。ぜひ、茶栽培発祥の地、佐賀県吉野ヶ里町東脊振の「栄西茶」をお楽しみください。

引用:JAさが

 

日本の緑茶は蒸し製法が主流です。しかし、中国からの名残が強い栄西茶は釜炒り製法で作られています。

明恵上人に茶の種を贈り宇治茶を広めた

日本を代表する緑茶といえば宇治茶です。宇治茶の発展には栄西が深く関わっています。

\緑茶の代表と言えば宇治茶/

茶の栽培に成功した栄西は、京都の栂尾山(とがのおやま)にある高山寺の住職・明恵に種を贈りました。明恵は高山寺の周辺に種を撒き、これが宇治茶の始まりとなります。

栂尾では、後嵯峨天皇が訪れたのを機に茶園が開かれました。のちに全国へと広まったとされています。

喫茶養生記の著者

喫茶養生記とは日本最古の茶書です。承元5年(1,211年)、栄西が71歳の時に完成させました。『茶は養生の千薬なり~』という言葉を目にしたことのある方もいるのではないでしょうか。

この本は、緑茶のもつ効能・効果を解説した薬学書として書き上げられました。日本に緑茶の文化を普及させるキッカケとなります。

鎌倉時代の喫茶法(抹茶)

奈良・平安時代に飲まれてた緑茶は【餅茶(へいちゃ)】といいます。茶葉を蒸して固めたものです。

必要な分だけ切り取り、火であぶって、粉末にしてから煎じます。匂いが強く、衰退していきました。

 

鎌倉時代になると【抹茶法】が確立されます。

 

抹茶法は、碾と呼ばれる薬研(やげん)を使って茶を細かく砕き、熱湯と混ぜて飲む方法です。

禅の僧侶たちが修行による睡魔を抑え、気持ちを落ち着けるために飲んでいました。そのため、禅宗の布教と共に抹茶法も広まっていきました。

抹茶法は侘び茶、茶の湯、茶道という段階を経ながら、千利休により大成されます。三千家として、現代にも受け継がれている日本の伝統です。

 

今の主流となっている煎茶は、1,700年代になってからできた製法です。緑茶の歴史の中では、まだまだ新しい飲み方なのでした。

つまり、それまでは急須も使っていないという事ですね。

まとめ

以上、緑茶を日本に広めたのは臨済宗の栄西|茶は養生の千薬なりについての紹介でした!

 

臨済宗の開祖【栄西】が日本に持ち帰った茶。その後、京都の明恵に贈られます。

そして京都で宇治茶が始まり、禅宗の布教と共に全国に広まっていきました。

 

栄西なくして、現在の緑茶を飲むことはできません。文化として発展しなければ、今でも餅茶を飲んでいたかもしれませんね。

\緑茶の発祥地【宇治の玉露】/

 

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